マグダラ

青い空。
かすかな風。
子供用プールに水を張る。
使い古したボールを浮かべる。

わずかに垂らされる中性洗剤。
まめまめしく動く背中。
まくりあげられたそで。
片方だけ長いパーカーのひも。

こすりたてられるあわ。
往復するナイロンブラシ。
うれしげにはたらく森。
はたらかないおれ。





























































虐められた翌日はしょっちゅう熱を出していたような気がする。たとえ当人が虐められてなくてもだ。病み上がりはいつもなにやらブ厚いカーテンごしに話しかけているような気持ちになった。とはいえこたえを望んで語りかけてたわけじゃない。あまり気にすんなと思いつめるなと伝えたかっただけだ。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている)





























































縁日のひよこの色。
空を映して青いみなも。
みずしぶきを肩口で拭う。
ヒマにかまけてハンモックを漕ぐ。

やがて気がすんだのか、
素足がプールの壁を踏み崩す。
こぼれる水。
すずしい音。

耳をそばだてていると
きもちいいよとわらいかけてくる。
おれはゴムぞうりをもぎ脱いで
おもうさま壁をふみつぶす。





























































伝えたかったことの半分はきっと重い布地に吸い込まれたはずだ。半分伝われば上々。やさしくやわらかな布の迷路の中であたたかみを取り戻して、やがて相方は陽の下に帰ってくる。もういちどちからづよくグリップを握ることができるようになる。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。それは一面の雲の海かもしれない)




























































もう一度水が張られる頃、
おれはあきてまたハンモックの上。
乾いていく泡だらけの足。
重いまぶた。

アスファルトに群れるひよこ。
遠い逃げ水。
膝下をそっとすすがれる感触に、
うすく目を開く。

てめえ勝手におれの足にご奉仕するなニャン
というか踊り子さんに触らないで下さいというと
なにムニャムニャいってんの、寝言?と微笑。
ここちよさと眠さにろれつがまわらない。





























































まだ思いだせる。ここまでくるのにはとおりいっぺん以上の苦労をしてきた。くるしい、つらい、きびしい、そして(不条理なことだが)いたい思いをしてきた。やがて時が満ち、陽の下に立つことが許されて、こんどはそれまで以上にくるしい(中略)きびしい、でも不条理なことにたのしい思いをしてきた。週に一度は笑えるだけ笑った、腹の底から。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。そこにはひつじがもたもたと揺れているのかもしれない)





























































ふ、と雲塊が太陽の下に潜り込む。
濃い影がゆっくりと迫る。
夏のアスファルト。花壇。
テニスボール。プール。おれら。

水が冷えていく。





























































D2降格の日は1日、S1に下げられたときは3日ほどどこかうつろで、それでもやがて相方は陽の下に帰ってきた。もういちどちからづよくグリップを握ることができるようになった。S1の椅子に座ってだれかを応援することさえできるようになった。
しかしさすがに腹の底から笑えなくなった。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。群生の白詰草でもかまわない)




























































これはいつか見た決意の顔、
青学の黄金ペアって強いね、と静かにいった顔。
少しだけ水気のある目をしていた、よく覚えている

これはいつか見た焦燥の顔、
石田と桜井なら誰にも負けないよ、と呟いた顔。
声が掠れていた、きっとぼくらにも負けないよと

これはいつか見た忍耐の顔、
シングルスもがんばらなきゃね、と囁いた顔。
橘さんのいうことに間違いはないのだからと、

ぼくらは弱くあの人は強いのだからと





























































なぐさめはごまかしとなり、励ましはその場しのぎになった。布の迷路の奥深くに逃げ込んでもぬくもりは帰らない。このたまごは孵らない。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。一面に干された白いシーツ、天香具山)





























































太陽が沈むことに異論はなく、物が壊れて人が死ぬのにも逆らうつもりはないし、それでも不満なら救世主の復活とかいうアレも思いつく限り罵倒してやろう。おれもこいつも身の程を知っている。過ぎた望みを抱いたとしたらそれは間違いなく何者かにひずられてだ。(それは復活しない力不足の救世主かもしれない)






























































おれはただこいつにずっとその場しのぎをいい続けてやりたいだけ。おれはただこいつの夢をゆっくりと忘れさせてやりたいだけ。おれはただこいつを静かにゆかせてやりたいだけ。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。風のない世界に降りしきる羽毛)




























































うつむいた顔の影は深い。
くやしいきもちはみんな同じだなんてどのくちがいうのだ
まけてくやしいだなんてそんなあまいもんじゃないんだ
まけた奴がいちばんつらいなんてうそだ
これからこのさきこいつはなにを信じりゃいいんだ

いったいこのツラのどこが笑って見えたんだ
おののく友人たち血を流す部長
切原の軽薄な笑み表情のない森
絶望するこころになんていってやりゃいいんだ

太陽はゆっくりと傾き明日へちかづく
沈黙するおれ




























































おれらの欲しいものは努力じゃ手に入らないものじゃないか。それを知っているおれらの努力は所詮その場しのぎのくるしまぎれのごまかしだ。そんなことおれはわかってる。森はしらんふりをしている。重いと思った瞬間から夢は十字架に変わる。祈ることしかできない無力なおれらに、それを捨てる事は許されない。
(あの丘をこえればうつくしい景色が待っている。息ができないほど視界をうめつくすたんぽぽの綿毛)





























































おれたちはたしかに丘をのぼりきった、
(全国に行くという望みは果たされた)
一面の雲の海を、
もたもたと揺れるひつじを、
群生の白詰草を、
翻るまっしろなシーツを、
降りしきる羽毛を、
たんぽぽの綿毛を、

まさかこんなにハデに殺されながら見るなんて
思ってもみなかったよ!


切原の軽薄な笑み表情のない森
背負ってきたアレにくくりつけられ
全国に行くという望みは果たされた
憧れの丘で磔刑




























































水栓をしぼる音が聞こえてふと目を開けて
後に残されたのはきれいになったボールと
べつにきれいでもないおれの足と
ひっくりかえされたちいさなプール、それだけ



























































おれ全国になんかいきたくなかったよ





























































解説:

天香具山【あまのかぐやま】
→「春過ぎて夏來にけらし白妙の衣ほすてふ天香具山」(持統天皇)
磔刑【たっけい】
→架刑。はりつけの刑。「貴様は磔刑だッ!」(プッチ神父)
マグダラのなんとか【マグダラのマリヤ】
→寒そうなキリストの足に香油を注いで髪で拭った女。またキリストの死後3日間ゴルゴダの丘でそれを見守り、復活を目撃した
とげぬき地蔵【とげぬきじぞう】
→東京は巣鴨の洗い観音。肩をこすれば肩の調子が、おなかをこすればおなかの調子がよくなる。『心に刺さったトゲをぬく』という御利益もある
地球の未来にご奉仕するニャン【ちきゅうのみらいにごほうしするにゃん】
→東京ミュウミュウ。詳細不明。このセリフ以外知らん






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